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YASUNOBU TOMITA

マーケット滋賀県情報

2018.03.08

 

本当の”地酒”を追い求めて
– 15代蔵元 冨田さんの飽くなき探究 –

 

びわ湖の最北端、北国街道沿いに佇む冨田酒造。

480年以上前からこのまちを見守ってきた、歴史ある酒蔵です。

銘酒「七本鎗」を、滋賀を代表する酒へと成長させた

15代蔵元の冨田泰伸さんに、未来を見据えた挑戦について伺いました。

― 契約農家の酒米を使用するなど、素材にこだわった酒造りをしていらっしゃいますが、そのルーツはどこにあるのでしょうか。

 

はじめは別の会社で営業の仕事をしていたのですが、数年働いたあと、ワイナリーなどのいわゆる「地の酒」の現場を見るために海外を巡り、27歳のときにここに戻ってきました。外で働いていた経験から、大手と同じやり方では生き残れないだろうことは分かっていたので、買いたいと思ってもらえる、共感できるコンセプトをつくることを第一に考えました。ヒントになったのはフランスのワイナリーです。ワインはその素材であるブドウとそれを育む土、すべてひっくるめてその土地らしさを完璧に表現できている。ひるがえって、日本酒はよく「地酒」というけれど、その地域を表す、本当の意味での「地酒」になれているだろうか…そこから、この地域で米づくりをしている方々と契約農家というかたちで関わるようになりました。日本酒の唯一の原料とも言える米、その”らしさ”を感じてもらえる酒にしようと、精米の歩合を低くして、ガツンとボディがある食中酒を目指しました。そうすることで、湖魚の佃煮や発酵食など、滋賀ならではの力強い食材にもよく合うんですよ。「THE 滋賀の酒」をつくる。これが、冨田酒造のコンセプトになっています。

 

伝統的な工法で酒蔵を新築。「数十年後に海外から人が見に来たときにも誇れるものでありたい。」

 

― 「七本鎗」という銘柄の名前は何に由来しているのですか?

 

戦国時代、豊臣秀吉が天下を取るきっかけとなった「賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦」の舞台が、このすぐ近くにあります。秀吉の勝利に貢献した7人の若武者を称えて「賤ヶ岳の七本槍」と呼んでおり、銘柄はそれに由来しています。この地域では、今でも秋になると「七本槍祭り」がありますし、賤ヶ岳はたぶん町民のほぼ全員が一度は登ったことがあるくらい、身近な存在です。500年近く前の出来事が、形を変えてまちの人の暮らしに深く根付いています。

 

原料となる酒米。冨田酒造で使用している4品種の稲穂が店先に並ぶ。

 

― 味も名前も、まさにこの地域を表現しているお酒なのですね。そんな歴史を背負う酒蔵として、これからどうしていきたいですか?

 

過去の歴史はもちろん大切ですが、守りに入ることはしたくないですね。攻め続けることで結果的に守れていた、というかたちを目指したいです。今は、米づくりから自分たちでやってみたいと考えています。これも有名なワイナリーに着想を得ているのですが、「出どころは小さいほうが面白い」というのが僕の持論で。「このSAKEがうまい!」と思った海外の人がそれを調べると、実は日本の、滋賀の、長浜の、木之本というまちで、この酒のためだけにつくられている米がある。しかもそのすぐ近くで、伝統的なやり方でこの酒をつくっている酒蔵がある…行ってみたくなりませんか?最終的には地域ブランディングというかたちで実を結び、このまちの他の産品にも寄与できたら嬉しいです。そのはじめの一歩として、滋賀の地酒を通じて地域を知るイベントみたいなものが”ここ滋賀”でできたら面白そうです。いずれにしても、先代が各々そうであったように、僕も僕の時代を生きていくつもりです。

 

お米のふくよかな旨味としっかりとした酸を併せ持っているのが特徴の「七本鎗 純米 玉栄」は、ここ滋賀でも販売。

 

 

■ PROFILE

冨田 泰伸(とみた やすのぶ)さん

冨田酒造 専務 / 15代蔵元

滋賀県長浜市生まれ。大学で経営学を学び、卒業後に飲料・食品メーカーで営業職に就く。退職後、海外視察の後に酒蔵に戻る。2002年の専務着任後、契約農家との関係づくりや、県外・国外への取引先拡大、日本酒周辺のグッズ企画など活動の幅を広げる。現在14カ国との取引があり、海外からの注目も急速に集めている。

 

(撮影・山崎 純敬 / SHIGAgrapher)