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MIYOKO TSUJI

滋賀県情報

2018.11.14

 

一針に思いをこめて、

糸がつなぐ「びん細工手まり」の歴史

 

秋の紅葉が美しい湖東三山のひとつ金剛輪寺のある愛荘町。

ここに江戸時代末期からの伝承工芸「びん細工手まり」があります。

いちどは伝承が途絶えますが、その技術を再現し、素晴らしさを今に伝える

「愛知川びん細工手まり保存会」会長の辻さんにお話を伺いました。

 

 

―びん細工手まりの歴史を教えてください。

 

愛荘町で最古のびん細工手まりは、江戸時代末期に近江商人の家から嫁いできた女性の嫁入り道具のひとつでした。明治時代には町内の裁縫塾で教えられていたことがわかっていますが、丸いびんが特殊で高価なこと、糸をふんだんに使うのがぜいたくなこと、手まりをつくってびんに収めるのがとても根気のいる作業であることから、ごく一部の女性のあいだで受け継がれてきました。ところが、1973 年、その技術をもつ青木ひろさんが、後継者がないことを惜しみながらも亡くなってしまいます。この伝統を絶やすのは惜しいとの声から、町の教育委員会の呼びかけで、愛知川びん細工手まり保存会が立ち上がりました。

 

びん細工手まり。伝統的な菊の紋様も、作り手や使う糸によって作品の表情がガラリと変わる。

 

 

―辻さんとびん細工手まりとの出会いはどのようなものでしたか?

 

保存会の立ち上げに関わっていた息子から、その存在を教えてもらいました。「これは見事だ」と思い、保存会がひらく第一回の講習を受けることにしました。その講習は、ひろさんをそばで見守ってきたご主人の記憶をたよりに、大まかなつくり方を学ぶものでした。以来、保存会のメンバーで試行錯誤しながら技術を再現し、びん細工手まりをつくり続けています。気づけば45 年たちますが、一針ごとに発見があるので、いまだに飽きることがありません。つい最近も、新しい柄に挑戦したんです。いまは、これをお披露目するのが楽しみです(笑)。

 

 

「これはまだ誰にもナイショの柄よ」と声を弾ませ試作品をみせてくれる。

 

 

―保存会の活動について具体的に教えてください。

 

毎月1 回「手まりの日」というのがあり、保存会のメンバー数十名が、おしゃべりしながら自由に手まりを作ったり、互いに教え合ったりするということを、保存会の創設当時から続けています。また、びん細工手まりの技術は「秘伝」なので、正式に技術を継承できるのは愛荘町の町民だけですが、どうしてもつくり方を知りたいという方が全国にいらっしゃいます。そうした方のために、毎年1回「ふるさと体験塾」というかたちで愛荘町にお越しいただき、3日間の講習会をひらいています。毎年好評で、今年で28 回目になります。

 

びん細工手まりづくりは「生涯かけての楽しみ」。

 

 

―伝統を継承する秘訣はなんでしょう?

 

自ら手本になるように研鑽しつつ、それを押し付けないことですね。自由な発想で、創意工夫してつくることを楽しんでもらうのがいい。それから、行政の後押しがあったことも大きいと思います。おかげさまで町のシンボルにしていただくまでになり、今後しばらく伝統が途絶えることはないでしょう。現在、町内に技術を継承する者は85 名に増えました。そうした人たちが、わずかでも制作を続けていくことで、この伝統が続くことを願います。

 

「 愛荘町立愛知川びんてまりの館」では、びん手まりの歴史や、数多くの作品を見ることができる。

 

 

■ PROFILE

 

 

辻 みよ子(つじ みよこ)さん

愛知川びん細工手まり保存会 会長

 

大正14年生まれ。長年、金襴(きんらん)(仏具などに使われる金糸をあしらった布)の機織り職人だった。48歳のとき、びん細工手まりに出会い、93歳となった現在も、毎日コツコツと制作している。元気の秘訣は、びん細工手まりづくりと、何でもよく食べること。

 

 

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撮影・山崎 純敬 / SHIGAgrapher

ライター・大山 真季