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SHIGERU OKUMURA

滋賀県情報

2019.03.14

 

湖に浮かぶ漁民の島、懐かしい日本の原風景

 

琵琶湖には、日本で唯一、人が暮らす淡水湖の島「沖島(おきしま)」があります。

多くの人が漁業を生業とするこの島には車も信号もなく、時がゆったりと流れるようです。

沖島での暮らしとは一体どのようなものでしょうか。

沖島漁業協同組合 代表理事組合長の奥村繁さんにお話をうかがいました。

 

 

―沖島の歴史について教えてください。

 

沖島周辺の湖底から縄文土器が発見されていることから、古くから人の営みはあったようです。源氏の落人(おちうど)伝説もあります。歴史の記録に登場するのは戦国時代以降で、船が交通手段として重宝されていた当時は、湖上交通の重要な拠点として機能していました。明治時代に採石が盛んだった時期もあります。

 

 

 

―沖島の魅力はなんでしょう?

 

淡水湖に浮かぶ日本で唯一の有人島ということでしょうか。少ない平地に人が密集して暮らしており、狭い路地はまるで迷路のようだと言われます。家の外壁に舟板が貼ってあるのは、水に強いマキの木で舟をつくっていた名残りです。高台からの見晴しは最高ですよ。この美しい景色とどこか懐かしい漁村の空気を求めて、春の桜から秋の紅葉シーズンを中心に年間何万人もの観光客がお見えになります。

 

 

遠くに見えるのが沖島。近江八幡市堀切漁港から約10分で行くことができる。

 

 

―沖島の漁業の特徴を教えてください。

 

昭和30 年代のピーク時には800人以上いた住民のうち約9 割が漁師でした。現在は過疎化と高齢化がすすみ、住民は250人以下になりました。そのうち漁師は6 割です。けれど、沖島だけで琵琶湖全体の漁獲高の半分を占めるという状況は昔も今も変わりません。小鮎漁のシーズンになると、漁船に建てた高さ3mほどの足場の上から刺網にかかった小鮎を夫婦で振るい落とすのですが、それは沖島特有のやり方で春から夏にかけての風物詩といえるでしょう。

 

ホンモロコなどを獲る底びき網漁のためのロープ。港にはシーズン中の漁具が置かれている。

 

―ご夫婦で船に乗るということは、漁業と切り離せない沖島の暮らしには女性の力も欠かせないのですね。

 

その通りです。女性の活力は目を見張るものがあります。なかでも漁協の女性達で構成する湖島婦貴(ことぶき)の会というのがあるのですが、自分たちで獲った魚を佃煮にしたり予約制の弁当にしたりして、島外から来られた方に喜んでいただいています。

 

―島外の方に伝えたいことはありますか。

 

この類まれな環境で漁師として日々琵琶湖と接していることは私たちの誇りです。現在、沖島では漁師の後継者がいないなか、過疎化、高齢化、水産資源の不安定さなど様々な問題がありますが、近年たくさんの方が観光にお越しくださり、それが沖島の未来につながっている気がしてならないのです。もちろん、私たちにどんな受け皿ができるかを考えて、その仕組みづくりは必要ですが、沖島の未来は明るいと個人的には感じています。ぜひ、ひとりでも多くの方に沖島へお越しいただき、琵琶湖の魚のおいしさを味わっていただきたいですね。

 

島のメインストリート「ホンミチ」。平地が少ないので狭いところに家がひしめくように建っている。

 

 

 

■ PROFILE

 

 

奥村 繁(おくむら しげる)さん

沖島漁業協同組合 代表理事組合長

昭和22年沖島に生まれ育ち、漁師一筋でやってきた。得意なのはスジエビ漁。昭和30年代の高度成長期以降、漁業を通して沖島の栄枯盛衰を見てきた。近年は漁協組合長として沖島町離島振興推進協議会と二人三脚で沖島の活性化を図る。

 

 

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撮影・山崎 純敬 / SHIGAgrapher

ライター・大山 真季