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TOSHIHIRO TAKAGI

滋賀県情報

2019.11.08

織田信長に思いを馳せるまち、安土町。

 

異彩の戦国大名として知られる織田信長が天下統一の拠点とした町、安土。

小高い山が連なり田園が広がるのどかな町で、信長は何を思い、何を残したのでしょうか。

まちづくりに長年取り組んできた安土町商工会会長の髙木敏弘さんに、

戦国にまつわる安土の楽しみ方と、その活動についてお話を伺いました。

 

―戦国時代といえば、全国各地で戦国大名が興隆と没落を繰り広げた時代ですが、滋賀・近江においてはどのような時代だったのでしょう。
 
江戸時代に五街道が整備されるまで、船で移動したり物資を運んだりする水運は重要でしたから、日本の東西を結び京の都にも近い琵琶湖の水運を掌握することは戦国大名にとって大変重要でした。織田信長は長年この地域一帯を支配していた佐々木六角氏に勝利すると、琵琶湖を囲むように坂本城、長浜城、大溝城を作らせ、安土城を加えた4つの城で琵琶湖を掌握、天下統一の足掛かりとしました。

 

昭和30年代まで生活に利用されていた安土城の外堀。

 

 

―戦国にまつわる安土の見どころを教えてください。
 
JR安土駅から安土城跡までの道のりを、ぜひ徒歩で楽しんでいただきたいです。信長が整備した下街道がほぼ当時の道幅のまま残されており、少し脇道に入ると日本初の神学校セミナリヨ跡や城の外堀、城と城下町をつないだ百々橋(どどばし)などがあります。一番の見どころはやはり安土城跡でしょう。信長は比較的低い山の頂に、天主という高層の建造物を作った初めての人物です。しかも「天守」ではなく「天主」と書くのは安土城ただ一つ。そびえる絢爛豪華な天主に居住することで、信長が自らの存在をアピールしようとしたことがうかがえます。また、信長がこの地で商業振興のために楽市楽座を実現したことや、近代相撲の原型と言われる常楽寺相撲を興行したことなど、当時の安土で何が起こったのか、それが何故かを感じてほしいですね。そうすると風景が違って見えると思います。

 

百々橋口の石碑と階段(安土城跡の入城は大手道より)。

 

 

―髙木さんは安土町商工会会長として、どのような活動をされているのでしょうか。
 
私は、1981年の織田信長400年祭をきっかけに、住民の方に安土の魅力を再認識していただくため、「あづち信長まつり」の前身である「フェスタ信長」を仲間と共に立ち上げるなどして多くの方に安土へお越しいただく取り組みをしてきました。安土城が焼失したあとは何も残っていないと言われますが、昭和30年代までは信長が作ったとされるお堀の一部を利用して舟で田畑に通うなどしていたのです。そうした生活遺産を次世代に繋ごうと2005年からはゴールデンウィークの時期にお堀めぐりも始めました。最近は、明智光秀が信長に拝謁した際の水上ルートを再現し、和船で信長や光秀も受けたであろう400年前の風を体感していただければと考えています。安土は「信長に選ばれし都市(まち)」です。今後は、町のにぎわいづくりにも注力し、住民の方が誇れる安土の町にしていきたいと思います。

 

 

信長に扮する「飛び出し坊や」がお出迎え。

 

 

■ PROFILE

髙木 敏弘(たかぎ としひろ)さん

安土町商工会会長

1952年生まれ。少年時代は城跡探検などをして安土城跡に慣れ親しむ。約40年前、新聞に地元住民のコメントとして「安土山は石が転がっているだけ」と紹介されたことに衝撃を受け、ふるさとの理解を深めるための活動を展開している。

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撮影・山崎 純敬 / SHIGAgrapher

ライター・大山 真季