ここ滋賀ブログBLOG

ここから、ひろがる滋賀のストーリー
TSUNEO UENISHI

滋賀県情報

2020.02.08

正藍染職人 植西恒夫さんが感じる

発酵と人の手が生み出す自然のぬくもり

 

かつて、その品質の良さから全国に知れ渡った織物「正藍染(しょうあいぞめ)・近江木綿」。

自らを「紺屋(こうや)」と呼び、昔ながらの藍染の技法を今に受け継ぐ職人がいます。

身近にありながら、現代の私たちにはあまり知られていない藍染の現場を、

湖南市下田(しもだ)地区にある紺喜染織(こんきせんしょく)4代目の植西恒夫さんに見せていただきました。

 

―「紺屋」とはどんなお仕事なのでしょうか。

 

紺屋とは、糸や生地を正藍染する仕事です。鍛冶職人を鍛冶屋、桶職人を桶屋と呼ぶように、昔の人は素材を紺色に染める職人を紺屋と呼びました。藍染したものは丈夫で長持ちするということから、衣類はもちろん、布団、風呂敷、暖簾、なんでも藍染したものです。どの家庭でも蚕や綿花を育て、紡いだ糸を紺屋に染めさせて布を織ったので、紺屋がとても身近な存在だったのです。ここ下田にも紺屋は3 軒ありましたが、既製品の普及で需要が減り、今はうちだけになりました。

 

 

代々伝わる近江木綿の見本帳。

 

 

―紺喜染織さんの特徴を教えてください。

 

うちは初代が明治10 年頃に創業し、染めだけでなく、藍の原料となる蓼藍(たであい)の栽培、染料づくり、織り、全てを担ってきたのが特徴です。昔は手織りしてくれるおばあさんが地域にたくさんいて近江木綿の生産を支えていました。職人の高齢化が進み織機の導入などもしましたが、現在は染めのみ続けています。県外からの依頼も多いです。

 

 

 

土色の藍染液。引き上げた糸はズシリと重い。

 

 

藍染はどのように行われるのでしょう。

 

うちの藍染は、蓼藍の栽培から始まるといっても過言ではありません。蓼藍は夏の暑い時期に収穫し、天日で乾燥してからムロで100日ほど発酵させスクモと呼ばれる染料にします。それを甕(かめ)の中で再発酵させると藍染液の完成です。藍の濃度が異なる12 本の甕で、何度も染めと乾燥を繰り返しながら好みの色に仕上げます。藍染液を含んだ糸はとても重いのでかなり重労働です。しかも、初めは藍染液と同じように土色をしていますが、空気に触れると一瞬で青色に変化するので、絞り方が均一でなかったり遅かったりすると色むらになってしまいます。どれも長年の経験が必要な作業です。麻、綿、絹、これまでいろんな糸を扱ってきましたが、手で紡いだ糸と機械で紡いだ糸の違いは、触れればすぐにわかります。手で紡いだ糸には温もりがあり、染め上がったときの肌ざわりも違うんです。そら、気持ちええですよ。

 

 

 

均一に染まるように手早くさばく。糸は空気に触れると一瞬で青色に変わる。

 

 

―伝統の継承についてどう思われますか。

 

長男は家を継ぐのが当たり前だった時代に、私は親がすることを見よう見まねで覚えて続けてきただけなんです。後継者はおりません。若い人が藍染を学びに来ることがありますが、教えることができるのは染めの工程だけで、蓼藍の栽培やスクモの発酵までは至っていません。近年は地元の小学生や、全国から体験に訪ねてくれる人が多いので、若い人からエネルギーをもらっています。これからも体が動く限り、続けていきたいです。

 

 

 

■ PROFILE

植西 恒夫(うえにし つねお)さん

紺喜染織 4代目

1934年、紺喜染織に生まれる。幼い頃から家業を手伝い、18歳から本格的に正藍染をはじめる。現在85歳。健康の秘訣は、規則正しい生活リズムと朝・昼・晩の食事をきちんととること。

 

==

撮影・山崎 純敬 / SHIGAgrapher

ライター・大山 真季