滋賀をむすぶ

クリエイターが巡った滋賀をむすぶ旅。
これからの滋賀の魅力がたくさんあります。

ルーカスB.Bが歩く古の道、鯖街道

日本中の街道を歩きなら、昔の人の智恵や歩く楽しみを発見するPAPERSKY編集長のルーカスB.Bさん。福井・小浜から滋賀県を横断し、京都・出町柳をつなぐ鯖街道を歩きました。鯖を運んだ人々の足跡を辿りながら、少しずつ浮き彫りになってきた滋賀の魅力とは? tumblr_nn94lizaDF1u31bh4o3_1280[1] Lucas B.B. プロフィール クリエイティブディレクター/編集人アメリカ生まれ。
カリフォルニア大学卒業後、来日。
(有)ニーハイメディア・ジャパン代表取締役として、 トラベル誌『PAPERSKY』やファミリー誌『mammoth』を発行しながら、
ウェブサイトやイベントプロデュースなどもおこなっている。
これまでに手がけた雑誌に『TOKION』『metro min.』『PLANTD』などがある。
2014年にはNTTドコモのアプリメディア『japan jikkan』を創刊。 また、ファミリー向け野外フェスティバル「mammoth pow-wow」や 日本再発見の旅プロジェクト「PAPERSKY tour de Nippon」の
イベントプロデュース等、幅広く活動している。
www.khmj.com

近江は街道の国

旅は人生に似ている。言い古された言葉かもしれないが、「歩く」ことにこだわるルーカスさんの旅のスタイルは、このフレーズがうってつけだ。雨降り、坂あり、苦もあれば楽もある。道中のアップダウンこそが、「日常」へのスパイスになる。これこそ今も昔も、きっと変わらない旅の醍醐味。 こと滋賀県は地理的に見ても、古来より、東日本と西日本をつなぐ交通の要衝。古の都、京都の隣に位置するために、東海道と中山道が滋賀の草津宿で出会い、古くからにぎわいを見せた。このほか琵琶湖の西側を通り畿内と北国を結ぶ西近江路、中山道鳥居本宿から越前に続く北国街道、江戸時代に将軍の襲職のたび来日した朝鮮使節団が通った朝鮮人街道など、県内のあちこちを街道が走る街道の国。貴族、皇族、武士、大名、そして庶民。あらゆる人々がさまざまな目的で街道を通り、人と物と情報が結ばれてきた。近江商人の活躍も、街道なくしては語れない。 街道が多ければ、滋賀周辺には有名な関所も多い。「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」と和歌にも詠まれた三関のひとつ、逢坂の関は、現在の大津市に位置する。京の都人にとって、この関を越えて目に飛び込む琵琶湖は、まさに海のように映ったのだろう。 tumblr_nn94lizaDF1u31bh4o4_1280[1] 今回、数ある滋賀県の街道のなかでルーカスさんが歩いたのは若狭街道、通称鯖街道だ。これまで熊野古道やお遍路さんをはじめ、島根県の石見銀山から瀬戸内海まで銀を運んだ道や、九州から四国に芋を持ち出し、飢饉を救った下見吉十郎をまつる「芋地蔵」を辿る道など、多くの街道・古道を歩いてきたルーカスさん。そのなかでも「鯖を運ぶなんて、おもしろい」と、ピンときたそう。 鯖街道は、福井県小浜市から滋賀県を縦断し、京都の出町柳までを結ぶ最長約70kmの道のり。室町末期には、若狭からの海産物が京都の市場で並んでいたことが知られていたという。海産物のなかでも鯖を運ぶことが最もメジャーとなり、いつしか人はこの道を「鯖の道」と呼ぶようになった。運び手の脚力に応じて、ルートはいくつかあった。 ひとつは、小浜市から山に入り根来峠(高島市)を越え、小入谷(高島市)から京都の鞍馬まで山中を通って出町柳に至る「針畑越え」。もうひとつは、小浜市から熊川宿(福井県)を通り、朽木市場(高島市)、京都の大原を経由して出町柳に至る「朽木街道」と呼ばれる道。いずれの道も、牛や馬に荷を轢かせて京都まで運ぶこともあった。また「背負い」や「がっついさん」と呼ばれる運び手が、「京は遠ても十八里」と口ずさみながら、担いで山道を駆け抜けたともいう。今回ルーカスさんは、小浜から朽木までは「朽木街道」を、そして朽木から京都までは「針畑越え」を歩いた。さらに、このふたつの道をつなぐ、弓坂越えという朽木の人が生活に使っていた古い道も再発見することになった。 旅路でルーカスさんが発見した滋賀の魅力を見てみよう。

山の中で開いた、鯖をめぐる食文化

「鯖を籠に入れて、天秤棒で担いで売りに来てたね」と、懐かしそうに教えてくれたのは、高島市朽木にある「丸八百貨店」に集う地域のおばあちゃんたち。福井でとれた鯖は、朽木でも売られ、山間の人々の暮らしに海の香りを届けた。そして鯖をめぐる独特の食文化が生まれた。 「お祭りのときには鯖寿司作って、親戚に持って行ったね」ともいう。朽木では、鯖はハレの日や、法事など、特別な日に食べる郷土食。ほかにも、焼き鯖を醤油味で煮つけ、その汁にそうめんを絡ませた焼き鯖そうめんや、鯖とネギをからし酢味噌で和えた鯖のぬたなど、山あいの集落において、昔から鯖料理のバリエーションが実に豊富だ。 tumblr_nn94lizaDF1u31bh4o1_1280[1] 山中で美味しい鯖料理は意外な取り合わせだが、レトロな擬洋風建築の由来も気になるところ。丸八百貨店は昭和8年に建てられた2階建ての“デパート”。開業当初は1階で雑貨や新聞を、2階では呉服を販売していた。20年前から旅人の無料休憩所と、地域の人々のためのコミュニティスペースとして運営している。 tumblr_nn94lizaDF1u31bh4o2_1280[1] 「昔は朽木の市場に行くって言ったら、それはもうすごく大きい街に行くみたいやった」「このデパートも店員さんがちゃんといてね」「周りもお店ばっかりでした」と、おばあちゃんたちの口から次々と往時の景色が描かれる。今では山間の静かな旧市街。かつてのにぎわいは、なかなか想像がつかない。 「どうして街が栄えたんですか?」と、ルーカスさんが尋ねた。「昔は炭を焼いたり、山から伐り出した木を安曇川から筏流しにして運んでいたんですわ」。あるおばあちゃんは、視線を山のほうに向ける。 朽木谷は奈良時代以前から木材の産地として知られていた。奈良の東大寺造営にも、この地の材が用いられたという。戦後、山という山に杉や檜が植えられたが、今でも安曇川源流の森に入れば、 トチの巨木やブナの原生林などに出会える。

幻の朽木盆の復刻に挑戦する木工作家

「ひとつひとつ、木は表情が違うでしょ。これがトチでできたお盆」と、作品を見せてくれたのは、木工作家の澤田崇さん。その木目はメノウのように厳かに輝く。「朽木は雪深くてね、雪の重みで力が加わるから、こんな木目になるんです」。 tumblr_nn94lizaDF1u31bh4o5_1280[1] 旋盤を始めて約10年。澤田さんが目指すのは、幻のお盆「朽木盆」を復刻だ。もとは永源寺(現、東近江市)近くの小椋谷で誕生した木地師のろくろの技術は、惟喬親王(清和天皇の兄)によって朽木にも伝えられたという。 tumblr_nn94lizaDF1u31bh4o9_1280[1] 朽木の木地山を中心に木地師が移り住み、椀、皿、盆などの木地を作り、朽木市場や岩瀬に住む塗り師が装飾と漆塗を施していた。かつては参勤交代の際に江戸へも運ばれ、井原西鶴の物語にも登場するほど、その名をとどろかせた。ところが天保の飢饉のため、江戸時代に木地師の家が途絶えてしまいその技術も途絶えてしまったと、澤田さんはいう。 tumblr_nn94lizaDF1u31bh4o6_1280[1] 「ちょっと見てて下さい」と、澤田さんが何気なくお盆を畳に置く。お盆と畳の間に隙間があって、お盆の下にすっと手を入る。「これが昔の人の智恵で、片手でもお盆を手にとりやすいように、朽木盆は底が少しだけ丸くけずられているんです」。昔の日本人の智恵が大好きなルーカスさん、「これ、すごいね」と、大興奮。木地師は良材を求めて住処を変える職人集団。かつて朽木に木地師がいたことは、昔から森が豊かだったことの証拠だ。

旅の2日目は、朽木能家からスタート

tumblr_nn94lizaDF1u31bh4o7_1280[1] 旅の2日目はまさにその森の中を、高島市能家(のうげ)から京都府左京区百井町までの約29kmを歩く。京都との県境に位置する三国岳、経ヶ岳の東を通るこのルートは、針畑越えと呼ばれる鯖街道の最も古い道のひとつだ。 残雪が綿菓子のように田畑に積もり、霧が山肌に立ちこめる。すべてが白く包まれた中でのスタートだ。この日、道の案内をしてくれたのが、NPO法人高島トレイルクラブの村田浩道さん。「今日はまず、弓坂越えという昔の人が生活に使っていた道を通ります」。生活道といっても、尾根伝いの急な斜面をすべりながら、あるいは這うように進む。木の間を差すわずかな光、 目印になる巨木、三角点や石碑、その全てを読み解いて、ようやく先人たちの足並みが朧げに見えてくる。途中、ブナ林の合間を縫う。 琵琶湖には111本の河川が注ぐが、朽木の山を水源とする安曇川が最も水量が多い。このブナの葉から落ちる一滴は、山肌に染み込みやがて川となり、海のように広がる琵琶湖へと姿をうつす。鯖街道を歩くつもりが、琵琶湖の豊かさを支える、その水源のひとつを垣間みることになった。「滋賀って、至るところに水脈があって山の上でも水が豊富。僕たちは鯖街道を歩いているけれど、その道の横にはほぼずっと川があるんですよね。 まるで水に導かれているみたい」と、服部さんは言う。滋賀という土地をリサーチすることは、滋賀のアイデンティティ探しだという服部さん。山を歩きながら、滋賀に共通する風景を見いだしたそう。 「これまでリサーチでナガオカケンメイさんや野村友里さんと湖北や湖東を訪れたときに見た雪や水辺のヨシに似た風景を、こうして山中を歩いているときにも見つけたんです」。それは雪の白、黄金に輝くヨシのベージュ、そしてその奥にある深い緑。「この色合いが滋賀らしさのひとつかもしれない」。

3日目は花背峠を越えて、出町柳へ

旅の3日目は京都府左京区花背峠を下り、鞍馬山を越え出町柳へと至る19.5kmの道のりを歩いた。ここでもまだ雪が残る山道をスタート。 足の裏にはいくつもマメができ、もう膝も上がらないくらいというくらい歩いて、出町柳にある鯖街道の石碑でゴールした瞬間、「良かった」と服部さんは、思わず少しだけ涙した。 tumblr_nn94lizaDF1u31bh4o8_1280[1] 「僕らの生活は歩くとか、食べるとか“動詞“の積み重ねなんですよね。鯖街道は鯖を運ぶという動詞が、名詞化したものでしょ。名詞化された瞬間に、 人に伝わる情報になって、土地に潜む”もの”や“コト”が浮上する。もちろん単に『それ知ってる』という名詞化することの危険性もある。でも僕らは誰かが歩いた道を歩いているんだから、やっぱり自分が追体験することが大事だと思うんですよ」。 街道の他にも、琵琶湖の周囲(約300km)を歩くことで滋賀らしい豊かさを感じるトレイルルートを開拓して、魅力を発信することもできそうだ。 「鯖を運んでいた道が、名詞化されて“鯖街道”と呼ばれるようになったのと同じように、琵琶湖を一周するロングトレイルもネーミングをすることで、もっと多くの人が魅力に気付くかもしれないよね」と服部さんはいう。 ルーカスさんいはく、歴史・文化と自然の両方を感じるツーリズムが、世界でも旅のスタンダードなあり方になっている、とか。「もっと多くの人が歩いて古道の魅力を発掘すれば、昔の人の暮らしや智恵をいまにも繋げられる。歩けば体験できるけれど、歩かなければ知らないままで、こうした旧街道がどんどん今の人の記憶からなくなってしまうだけ」。 小さな宝石の粒が手からこぼれてしまうよと言わんばかりに、ルーカスさんは口惜しそうに言った。もはや歩く旅は今と過去をつなぐ「大事な作業」のようだ。 「今回は途中で弓坂越えという地図にも載っていない古い道をガイドの村田さんに見つけてもらえたのも良かった。こうして、みんなが忘れかけてたルートをもう一度つないで地図を作りたいね」。 鴨川の向こう、来し方を見ながらルーカスさんが言った。今でも茅葺き屋根が点在する滋賀の集落の景色はすっかりルーカスさんの心に刷り込まれたようだ。 観光が消費と同義語になって久しい。けれど、旅の感動は「発見」の二文字に尽きるはず。日本最大の湖と湖を作る水源の山々、そして歴史ある道。滋賀は新たな発見に満ちた旅路のメッカに違いない。 (文章=ヘメンディンガー綾/写真=成田舞) ※今回のルート上には一部道迷いしやすい箇所がありますので、NPO法人高島トレイルクラブに相談するなど、十分な準備をしたうえでお出かけください。

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