滋賀をむすぶ

クリエイターが巡った滋賀をむすぶ旅。
これからの滋賀の魅力がたくさんあります。

ナガオカケンメイ×服部滋樹 湖国のものづくりを巡る旅(第3回片山木工所)

こまこま 日本の各都道府県のロングライフデザインを集めた「D&DEPARTMENT」代表のナガオカケンメイさんと、MUSUBU SHIGAブランディングディレクターの服部滋樹さんが、滋賀の“良いデザイン“を探しに、地域に根づいたものづくりの現場を訪ねました。そのレポートを4回にわたってお届けします。 ナガオカケンメイ プロフィール 1965年、北海道出身。D&DEPARTMENT PROJECT代表取締役会長。日本デザインセンターを経て、2000年、東京・奥沢で消費のあり方を再考すべく、デザインとリサイクルを統合した『D&DEPARTMENT』をスタート。暮らしに長く寄り添うロングライフデザインを提唱し、47都道府県の伝統工芸や、地場産業を見直す「NIPPON PROJECT」を展開中。

漆器の原点、滋賀にあり

ジャパン、チャイナと聞いて「漆塗りと陶磁器を指す」とピンとくれば、なかなかの骨董マニア。そう、我が国の名を負ってしまうほどに、漆塗りは日本の伝統工芸のシンボル的存在。フランス最後の王妃マリー・アントワネットは追手が差し迫るなか、まとめた荷物のひと箱を蒔絵の工芸品で埋め尽くした。フランスでは有名なエピソードが、日本ではあまり知られていない のだから悲しくなる。 さらに、もうひとつ知られていないことは?「漆塗りを施す“木地”をつくる木地師は滋賀県発祥です」。気負うでもなく、ましてや威張る風でもない。 そう語るのは、片山木工所の片山喜一さん。 対面 木地師とは、お椀や皿、お盆などの食器や玩具を専門に作る人々のこと。ろくろ師やこま師ともよばれ、山中を拠点とし、良材をもとめて全国に移り住むノマディックな職人集団だ。 そのはじまりは平安時代。文徳天皇の第一子である惟喬親王(これたかしんのう)が、法華経を読経しておられた際、お経の軸から「ろくろ」という挽き物工具を思いついたという伝説が残っている。惟喬親王は、現・東近江市の蛭谷と君ヶ畑の山の民にその使い方を指導したと言われ、この地をろくろの発祥地としている。 何といっても日本は木の国。全国土の約7割を森林が占めているのだから、昔から木材には困らない。近江を祖としながらも、全国に移り住んだ木地師たちは、各地の材を用いてめいめいに木地づくりに励んだ。木地だけでは食器としての用をなさないことから、耐久性のために漆塗りが施された。 こうして庶民から武士そしてさらには高貴な人々まで、ありとあらゆる人々が使う漆塗りの食器が生まれ、長きにわたって日本の器のシンボルとして君臨していた、というわけ。 戦前までは各地で生産が続いていた漆器づくりも、戦後はプラスチック材やより安価な食器が普及したことで衰退し、それに呼応するように木地師もどんどん姿を消していった。今では石川県の輪島や山中など、一部の漆器産地を除いて全国的に珍しい存在。それでもぽつりぽつりと、ろくろの技術をいまも受け継ぐ人々が点在している。 羽生削る 私たちが訪れた片山木工所もそのひとつ。工房は北国街道沿いにある長浜市の観光名所、黒壁スクエアの近く。古い街並がちらほらと残る住宅地の一角に、溶け込むように立っている扉を叩くと、愛犬と片山さん、それに奥さんと片山さんの妹さんが出迎えてくれた。 作業場には木工旋盤に木轢き轆轤(ろくろ)、さらには帯鋸(おびのこ)まで。旋盤にあてる刃物はもちろんのこと、木材の加工から仕上げに使う道具が所狭しと佇んで出番を待っている。 きりきり舞い 話が前後するが、苦境に立ったのは木地師だけではない。1960年代に外国から木材が輸入されはじめると、そもそも日本の林業全体がダメージを受けた。その後も材木業から加工業まで、業界全体は先細りになる一方。それなのに、街なかにしてこの設備が整っている木工所は、よほど稀少だ。 片山さんが木工の道に入ったのは、いまから45年前。お父さんと叔父さんがきりもりしていた木工所に跡継ぎとして入った。80年代の終わり頃、北国街道沿いに黒壁ガラス館を中心とする黒壁スクエアが建ち、観光所として整備され始めた頃、お土産になるような唯一無二のものを、と独楽を思いついた。 「ろくろの良いところは、あてがう刃物を変えればまったく違ったかたちの独楽ができることです」と片山さん。 大人の手よりも大きい二寸三分の独楽から、九寸まで、あざやかな着色を施した独楽を作り続けて四半世紀。今では浜独楽として、滋賀県の伝統工芸品に指定されている。

豊かな森から、豊かな暮らし

駒兄弟 独楽に使う材はヤマザクラ、ケヤキなどの落葉広葉樹。この他、茶托やお盆、さらには茶道具に使う組紐をつくる台なども手掛けるが、片山さんはなるべく地元の材にこだわる。工房の一角を見やると、大きな栃の床の間板が目についた。 聞けば「古物商の方を通して、日本家屋で柱や床の間板として使われていた古材を買っています。こうして利用しないと、家の解体とともに、チップにして燃やされてしまいますので」とのこと。 まさに木材の救世主。命拾いした木材たちは、片山さんの手によって独楽やお盆、茶托や茶筒などの小物へと姿を変える。木地師は再び木材に命を吹き込む、というわけだ。そうでもしなければ、森は悲しむだろう。というのも、幅一間の床の間板に育つまでかかる年月は、おおよそ数百年。 戦後は「建築材としてすぐに使えるように」と、比較的成長の早い檜や杉が 多く植えられた。そして秋には葉を色づかせ景色を彩り、冬には葉や実を落とし、森の生命バランスをほどよく保っていたブナやトチ、カツラやケヤキなどの落葉広葉樹は、杉や檜に主役の座を奪われた。 こうして落葉広葉樹は、ますます貴重なものになってしまった。 「ふつう、建築材として使うしか発想が湧かないですよね。それを独楽にするなんて」と服部さん。「夢があっていいですね」ナガオカさんも絶賛。

木はいつまでも生きている

片山木工では、伝統工芸としての独楽づくりの一方で、注文を受ければ鍋の取手や引き出しのつまみなど、暮らしに必要な道具のパーツも作ってきた。 お父さんの代では、雅楽の横笛をしまう筒も手がけたという。 まさに、丸いものなら何でもござい。服部さんそれを聞いて何やらひらめいた様子。「エスプレッソマシーンのハンドルが木だったらカッコいいですね」。「注文があれば、スタンプのハンドルも作ってきましたから、 作れると思いますよ」と片山さん。 「昔は街にひとつは鍛冶屋さんがあって、鍬や包丁まで何でも作ってくれたでしょ。まさに街の木工屋さん、って感じですね」と服部さんが言う。もともと片山さんのお父さんの代は、山から伐採した木を転がしたり、木を下す際に使う“とび”の柄を作っていた。良材に恵まれ、林業が盛んだった滋賀らしさを証明するものづくりのヒストリーだ。 特に湖北では、日本海側の寒気と太平洋側の湿潤な気流がぶつかるために、山の標高はさほど高くないものの多様な植生が見られる。その森の豊かさと、その恵みに抱かれるような人々の暮らしが目に浮かんでくる。 筒ドヤ 人生を賭して、木と向き合う 「非売品なんですけれど」と言いながら、片山さんはお父さんが手掛けた茶筒を見せてくれた。蓋と本体部分の木目をあわせると、すっと蓋が開く。 それなのに、少しでも木目をずらすと、微動だにしない。 「え!どういうこと?」と、大興奮の服部さん。「木は木材になっても、必ず息をして生きているんです」。片山さんが言うと、合点がいったという風にナガオカさんも言う「くりぬいた部分が目には見えないくらい、ほんのごくわずかに楕円形になっているんですね」。 「木目の話、感動的ですね」とすっかり興奮気味の服部さんに、片山さんはお父さんが遺した「非売品」のお盆や茶托を次から次へと見せてくれた。 松脂を多く含んだ“肥え松”に、気泡のような木目を描くケヤキの玉杢(たまもく)。いずれも大変貴重な材でできた茶托はまるで紙のような驚きの軽さだ。よく見ると使う材に応じて、ひとつずつ微妙に削り方が違っている。使い手と、木の特質の双方に考慮した優しいデザインだ。 皿自慢   「カッコいい」無垢材の家具をデザインして久しい服部さんも大絶賛。「こういうの商品として作りたいね」とナガオカさん。目利きデザイナーがそろいもそろって、大興奮。 「このあと漆を塗ります。するとどうしても厚みが出ますので、木地は薄くひく必要があるんです。それにしてもこの薄さは、父じゃないと」。12歳頃からろくろを始めて、93歳で亡くなるまで、まさに生涯をろくろに賭したお父さんの茶托やお盆がいまや片山さんの師。お父さんへの畏敬の思いが、 話していると、会話のはしばしから伝わってくる。 「これも非売品ですが」と少し申し訳なさそうに見せてくれたお盆も、例の床の間板からていねいに削り出した一枚。年輪が相当に細かくつまった良材だ。 人間の手で何としてもつくり出せないものにこそ、人は美を見いだすものだが、木の美しさはその最たるもの。時間だけがつくり出すことのできる、うっとりするような深い飴色をしている。 「父がつくった中で、一番好きなケヤキのお盆なんです。木材が新しいと、こういう色はでません」。 お盆の縁に手をかけると、ぶ厚すぎず、薄すぎない。手に馴染む、何とも絶妙な厚み。 おぼんぼん 「こういうお盆をみるときは、木目を見るといいんですよ。ケヤキの板目はあばれやすいですが……」と、片山さんはていねいにしまっていた箱からお盆をとりだして、机の上に置いた。机とお盆、ぴったりとくっついて寸分の隙間もない。 安心した顔をして片山さんは言った。「これは大丈夫。よほど、父はきっちりした仕事をしていたと思います」。 仲良し はあ、と大きな溜息をついて自称“お盆フェチ“の服部さんが言った。「これ、たまりませんね。とてもいい!」 まさにひと目惚れといった様子。どうしても譲って欲しいという思いを捨て去りがたい服部さんと、そんな服部さんをなだめるように諭すナガオカさん。 また絶対に来ますと、その日何度目かの口約束を残して、私たちは片山木工所を後にした。 「木工は暮らしに沿って存って当然だけど、現代ではほとんどなくなってしまいましたよね。それも“伝統”と大それて存在しているのではなくて、さりげない商いをされている。滋賀県には地域ごとに個性的で地の利にあった産業が、ちゃんと残っているんですね」とナガオカさん。 地の利、とはまさに。山もあれば、海ほどの大きさをした湖もある。地域ごとにさまざまなものづくりが営まれる豊かな風土と多様性こそ滋賀県らしさなのかもしれない。 (第4回へ続く) (文章=ヘメンディンガー綾/写真=成田舞) 「ナガオカケンメイ×服部滋樹 湖国のものづくりを巡る旅」。次回は、湖の宝石びわ湖真珠を使ったジュエリーを扱う「神保真珠商店」(大津市)の レポートをお届けします。かつてはヨーロッパなどでも一斉を風靡した珠玉のびわ湖真珠。美しく、豊かな湖でとれる珠玉の美の魅力をご紹介します。

この記事をシェアする