滋賀をむすぶ

クリエイターが巡った滋賀をむすぶ旅。
これからの滋賀の魅力がたくさんあります。

ナガオカケンメイ×服部滋樹 湖国のものづくりを巡る旅(第1回北川キルト縫工)

キルト1

日本の各都道府県のロングライフデザインを集めた「D&DEPARTMENT」代表のナガオカケンメイさんと、MUSUBU SHIGAブランディングディレクターの服部滋樹さんが、滋賀の“良いデザイン“を探しに、地域に根づいたものづくりの現場を訪ねました。そのレポートを4回にわたってお届けします。

ナガオカケンメイ プロフィール 1965年、北海道出身。D&DEPARTMENT PROJECT代表取締役会長。日本デザインセンターを経て、2000年、東京・奥沢で消費のあり方を再考すべく、デザインとリサイクルを統合した『D&DEPARTMENT』をスタート。暮らしに長く寄り添うロングライフデザインを提唱し、47都道府県の伝統工芸や、地場産業を見直す「NIPPON PROJECT」を展開中。

真綿って、木綿じゃないんです

滋賀県米原市。日本列島のほぼ真ん中、滋賀県と岐阜県の県境に人目をひく美山がそびえる。滋賀県最高峰の伊吹山。冬には若狭湾からの季節風を受け、この地に大雪をもたらすこの山は、湖北のシンボル的存在だ。その峰から流れる天野川は、やがて琵琶湖に注ぐ。この清らかな水を利用して、人々が真綿の製造をはじめたのは江戸時代中期頃と言われている。私たちが今回まずはじめに訪れたのは、米原市多和田にある近江真綿の工房「北川キルト縫工」。3代目の北川茂次郎さんは、創業当時の150年前と変わらぬ製法を守り続ける。ところで「真綿」という言葉を聞いたことのある人は、どれくらいいるのだろう?さらにその「真綿」は、絹を作る繭からでできているという贅沢を、知っている人はどれくらいいるのだろう?

キルト2

「綿といっても木綿の綿と違うんです。年をとった人でも、真綿が繭からできてるって、知ってる人はほとんどおらんのよ」とご主人の北川茂次郎さん。 真綿の歴史は実に古い。奈良県にある下池山古墳(3世紀末)から出土した鏡の袋にも用いられているし、文献では「魏志倭人伝」に「細紵(さいちょ)・縑緜を出す(麻布や絹を生産するという意味)」と登場する。動物性たんぱく質の糸は、植物繊維と比べて保温性が抜群だ。かつては防寒綿として武具にも用いられ、また戦時中は軍の防寒着となり、シベリアや満州に出兵した兵士たちの身体を温めていた。 「他のどんな繊維よりも温かいし、こんな良いものはないですよ」と北川さんが太鼓判を押すのも納得。真綿をほんの数秒手の平に乗せただけで、手に温もりが宿る。これは、まさに天然繊維のクイーン。その温かさの秘密は糸の構造にある。

キルト3

「蚕さんは口からふたつに分かれた糸を出すんです。すぐまた一緒になるんやけど、間に0.02ミリくらいの穴が開いていて、糸がストロー状になる。空気を含むからか、温かいし、吸水性もいい」。 ほんの小さな繭ひとつからとれる糸の長さは、1500メートル。弾力があって、引っぱっても簡単に切れるものではない。まるで魔法のように伸びる糸を作るには、人と繭との共同作業が必要だ。 「蚕さんが糸を吐き出すときに、室温を20度~25度に保たなければいかんのです。そうじゃないと蚕さんが休んでしまって、糸が切れてしまう。すると製糸には向かない。夏場は温度を上げすぎてもいかんしね、難しいんですよ。神経も使います」。 北川さんは蚕を口にする時、いつも必ず「さん」をつける。かつては農閑期の暮らしを支えていた蚕は、まさに敬うべき存在だ。人々は家族のように、いやそれ以上に、大切に蚕を飼っていたのだろう。真綿はもともと、生糸を繰る際に生じる屑を、無駄なく使い切ろうという智恵から生まれたそうだが、それもごく自然なことだったのだろう。

揺るぎない匠の技にトライ

蚕が真綿布団になるまで、全部で45もある工程は、とにかくそのすべてが手仕事。まず、服部さんとナガオカさんは精錬した繭から蛹を取り出す「繭むき」という作業にトライした。昔からこの作業は女性の仕事と決まっている。北川さんの奥さんがお手本を見せてくれた。

キルト4

ぬるま湯をはった木の大たらいに繭を浮かべ、繭を開いてさなぎを取り出し、袋状に伸ばしていく。ぎゅっぎゅっ、と積もった雪を踏みしめるような音をたてて、繭はみるみる形を変えて伸びていく。薄く引き延ばした繭を「ゲバ」という四角い木枠にかける。これを4枚重ねて「ゲバ」から外し、 軽くしぼって竹に干しておく。

キルト5

一人前になるのに、どれくらいかかりますか?と尋ねると「そうねぇ、5年か6年か。早くできるもんじゃないですよ。繭はひとつひとつ違うから、毎日やっていても、同じものにならないです」とニコニコしながら奥さんが言った。

キルト6

真綿は均等に引き延ばすのを良しとする。「糸が切れそう」。恐る恐る引き延ばす服部さんに、奥さんは「大丈夫。ほら、ちゃんと糸はつながってるでしょう」と諭す。続いて、ケンメイさんもトライ。「上手ですね」と、奥さんが褒めてくれているものの「これは難しいわ」と、ナガオカさん。参りましたという様子。 繭の持つ底力を知って、思わず溜息をつく二人に「これ引っ張ってみて」と北川さんは乾いた1枚の角真綿を手渡した。「せえの」と、15センチ四方の四角い真綿の両端を引っ張る。あっと言う間に綿がふわりと伸びて、空中で天の川を描いた。光を受けて、うんと伸びた糸の1本1本がきらきらと輝く。

キルト7

まだまだ伸びる!?伝統産業の可能性

重量1kgの布団をつくるためには、計130枚の角真綿を重ねる。使用する繭は3500から4000個。気の遠くなるような作業の繰り返し。重ねた真綿は、そのまま時間のつみ重ねだ。こうして連綿と続けられてきた真綿づくりは、いま危機的な状態にある。この多和田地区では、最盛期の昭和30年代で200戸が製造に従事し、全国の60%を生産していた。ところが、中国から安価な真綿が輸入されはじめ、時代とともに需要も減り、多くの家は布団製造などに転業していった。さらに、戦後は化学繊維の台頭もあいまって、近江真綿は次第に衰退。今でも製造を続けるのは、ここ一軒のみ。

キルト8

「面白いからやってみたいっていう若い人はおるんよ。石の上にも3年って言うでしょ。でもひとつひとつの作業が難しくてね、その3年が続かんのよ」北川さんの顔が曇った。 「色んな伝統産業のつくり手を訪ねると、同じような話を聞きますね。暮らしに必要で良いものたちが、どんどんなくなってしまう。僕らの暮らしはどうなるのかなって思いますよね」服部さんの言葉に、北川さんはこう続けた。「養蚕家も高齢化していてね、新しい人の育成も難しいんです。いままでは補助金があったけど、それも打ち切りで。本当は国産の繭を大事にせないかんけどね」。 北川さんは、愛媛県の養蚕家から繭を仕入れて真綿を製造している。ここ近年で繭の価格は高騰した。当然、真綿布団の販売価格も上がる。高級品の真綿は、より高価なものになっていく。 しかし、北川さんはただ手をこまねいて見ているだけではない。羽二重で真綿を包んだストールやマフラーなど、ここ1年ほどかけて、新商品の開発にも積極的に取り組んでいる。

キルト9

外も中身もオールシルク。手にとると、とろけるような肌触り。何とも贅沢で斬新だ。「やらなあかん!とひらめいたのよ」。まるで雷に打たれたとでも言うように、しゃんとして北川さんは言った。その情熱は瞬く間に、服部さんにも飛び火した。「僕、これデザインさせてもらいたいです」。

キルト10

「また来ます」と約束を残して、私たちは次の目的地となる国産シュラフ・ダウンの専門メーカー「NANGA」を目指した。道すがら、ちらほらと残雪が見える。私たちが訪れる数日前には、温暖化の近年には珍しく数十センチの積雪があったそうだ。知っている人は少ないが、世界一の積雪量を記録しているのも実は例の伊吹山だ。雪が石灰岩の山に染み込んでアルカリ性の地下水となる。繭の精練にはこの水が欠かせないのだ、と北川さんが教えてくれた。多和田の真綿づくりは、まさに他のどこでもない、この土地だから生まれたもの。 「蚕を育てて、繭にして真綿を作るなんてことは、すぐにできることじゃない。でもそれがいいですね」とケンメイさんは言う。

「すぐにできない」ことが良いだなんて、どういうことだろう? 「人間って、すぐに自然を不自然に捻じ曲げてしまう。でも本当に長く続くものは、その土地にしかない地形や自然を無理なく活かしたものですよね。今はみんなお店に行ってほしいものをすぐに買えるという快楽が当たり前になっているけれど、この“すぐにできない”っていうのが、もっといいキーワードになったらいいですよね」。 春を待つ辛く長い時間を引き受けてきた多和田の人々だからこそ、ゆっくりとていねいに真綿が紡げる、ケンメイさんはそんな風に感じているのだろうか。 「でももし誰も継がなかったら、なくなっちゃうのかな」。ぽつりと、ケンメイさんが呟いた。 「この間、ピーター・アイビーというアメリカ人で富山在住のガラス作家のアトリエに行ったんですよ。その工房がおしゃれでね。そういう働き方を見て、若い人もやりたい!となるじゃない。
つまり伝統産業を継続するためには、工房という空間がデザインされることが大事だと思うんです。黙々と作るだけでは、過酷なんですよね。働き方のスタイルを考えないと」。 働き方にスポットを当ててみる。豊かなものを生み出す現場を、まずはもっと豊かにしていくこと。ありそうで、実はなかった視点かもしれない。 「たとえば、さっきの工房の近くに1ヶ月ステイして、真綿づくりを体験するための合宿所をつくったら、いいんじゃないかな。コーヒー焙煎機なんかを置いて、おしゃれにしてさ」。アイデアがむくむくと広がっていくケンメイさん。 いいね、と服部さんも同意する。「僕が大学でデザインを教えている生徒のなかに、伝統が続くためには、思想と技術と習慣の三要素があると分析した子がいたんです。伝統だから技術は変えてはいけない。

思想をいっぺんに変えるのも難しい。すると、あと変えられるのは人の習慣くらいですもんね。あちこちで伝統のものづくりってなくなっていく。だからそういう場所を、各地につくっていけたらいいですね」。

(第2回へ続く) (文章=ヘメンディンガー綾/写真=成田舞)

「ナガオカケンメイ×服部滋樹 湖国のものづくりを巡る旅」。次回は、古くから地域に根付くふとん縫製の技術を活かして、シュラフ(寝袋)の製造をスタートさせたシュラフ・ダウン専門カンパニー「NANGA」(米原市)を訪れます。徹底した品質追究で、今では国内屈指のブランドに成長したこだわりのものづくりを一挙公開します。

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