後世に残したい〝歴史〟と〝文化〟が奥永源寺に。

2022年6月16日(木)公開

後世に残したい〝歴史〟と〝文化〟が奥永源寺に。

株式会社みんなの奥永源寺代表 前川真司さん(その1)

 

 

名神高速道路八日市インターから車で40分ほど。滋賀県の東端に広がる、奥永源寺エリアの君ヶ畑町(きみがはたちょう)住民の平均年齢は80歳。そんな高齢化が進む町の最若手である前川真司さんは、地域活性化のために地域の人たちとの交流を積極的に行い、多様性のある魅力を発信しています。そんな前川さんに、集落の歴史や魅力を伺いました。

 

農山村の魅力を知って、木地師のふるさとに移住

「交通の便が抜群に良い兵庫県宝塚市出身の私に農山村の魅力を気づかせてくれたのは、中学時代に経験した山村留学でした。その後、高校から大学、アメリカでも農業を学び、八日市南高校で働いていた時、東近江市が「地域おこし協力隊」を募集していることを知ります。その一員として君ヶ畑町に派遣され、2014年から3年を過ごしました。その間、見ず知らずの私を温かく迎え入れ、地域おこしに関わらせてもらえることがうれしくて、ずっとここで暮らしたいと考えるようになりました」。

町のあちらこちらから見える藤原岳山頂の向こうは三重県。そんな県の東の端っこにある君ヶ畑は、蛭谷(ひるたに)・箕川(みのかわ)・政所(まんどころ)・黄和田(きわだ)・九居瀬(くいぜ)と合わせて“小椋谷(おぐらだに)”と呼ばれてきました。なかでも君ヶ畑と蛭谷集落は、ろくろと呼ばれる工具を使って盆や器を加工する木地師(きじし)発祥の地。その歴史は古く、平安時代から技術の伝承や保護、免許状の発行などを行っていたとか。今もさまざまな足跡が残っています。

君ヶ畑町の中心部には、木地師に関する資料などが見られる「ミニ展示館」が建つ。

ものづくりの祖は、平安時代を生きた元・第一皇子

木材を回転させて均整の取れた形に削り出すろくろの技術は、平安時代に文徳天皇の第一皇子・惟喬(これたか)親王が編み出したと言われています。皇位継承争いに巻き込まれて小椋谷にたどり着いた親王様は、諸説ありますが、薨去されるまでの19年間をこの地で過ごされました。

「言い伝えによると、ある夜、親王様の夢枕に金の龍が立ち、ろくろの仕組みを使って器を作るようにと告げたそうです。そこからろくろの着想を得て家臣に伝えたのが、小椋谷におけるものづくりの始まり。親王様が住まわれていた『髙松御所』は、その伝説に因んで『金龍寺』と呼ばれるようになり、今もゴミひとつないほど美しく掃き清められています。里の人たちはもちろん、良い木材を求めて移住したり、時の権力者に招かれて全国に散らばった木地師の心の拠り所です」。

小椋谷からは、福島県の会津や石川県の輪島にもたくさんの木地師が移住しました。その末裔の多くが故郷の地名に由来する「小椋」、「大蔵」の姓を持っていることは、この集落を木地師発祥の地と位置付ける根拠のひとつにされています。

格天井を持つ山門、京都御所の殿舎と似た構造を持つ本堂など、格式の高さがうかがえる金龍寺には「髙松御所」の寺額も掲げられている。

歴史を感じるパワースポット

「金龍寺の近くには、『大皇器地祖神社(おおきみきじそじんじゃ)』があります。その神域には、千年近い樹齢を誇る杉の巨木が何百本も植わっていて、かつて京都御所や安土城、伊勢神宮の建材として使われました。鳥居の側には、伊勢湾台風の際に雷が落ちたご神木『かみいなりの木』があります。その幹回りは12.6メートル。焼け残った後ろ半分は健在で、緑豊かな葉をたくさん茂らせています。
厳かな雰囲気の境内に身を置くとパワーがみなぎってくる気がします。まっすぐに天を突くように伸びる杉の木を見ていると背筋も伸びます。全国に散らばる木地師の心のふるさととして篤い信仰を受けています」。

見上げていると首が痛くなるほどの高さにまで枝を伸ばしている杉の巨木。

 

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