「琵琶湖システム」が世界農業遺産に認定されました!

2022年10月14日(金)公開

「琵琶湖システム」が世界農業遺産に認定されました!

 

令和4年7月18日(月)、FAO(国連食糧農業機関)が定める「世界農業遺産」に、滋賀県の「森・里・湖(うみ)に育まれる漁業と農業が織りなす琵琶湖システム」が認定されました。「琵琶湖システム」とは、琵琶湖を中心に育まれる農業や漁業、環境、生活文化に配慮した取組で、琵琶湖とともにある農林水産業のことを指します。この、「琵琶湖システム」の中核とも言える生き物を育む水田づくりを実践してきた、「針江げんき米栽培グループ」の石津文雄さんに、これまでの取組などを伺いました。

 

 

「琵琶湖システムは、昔の生活文化のようなもの」

 

滋賀県の北西部、高島市新旭町針江地区で活動する、針江有機米生産グループの石津文雄さん。環境に配慮した農業に取組み、平成30年には有機農業の先駆者として「黄綬褒章」を受章。

かつて、琵琶湖周辺の水田は、琵琶湖の固有種であるニゴロブナをはじめ、たくさんの湖魚に絶好の繁殖環境を与えてきました。その水田やヨシ帯などに向かってくる湖魚の生態を巧みに利用してきた「エリ漁」は、「待ちの漁法」として知られ、資源に優しい伝統的な琵琶湖漁業の代表格です。また、琵琶湖の水源を守る森林や里山の保全は、水田農業や漁業とも深く関連しています。このように琵琶湖周辺の環境と農業、漁業、林業とが密接に繋がり、千年以上に渡って、これらの営みが受け継がれてきました。

 

「琵琶湖システムというのは、私たちが子どものころから親しんできた生活文化のようなものです。毎年5〜6月、水がはられた田んぼには、フナやコイなどの湖魚が琵琶湖から川や水路を通って遡上(そじょう)してきました。産卵し、孵化した稚魚が田んぼで育ち、また琵琶湖へと戻っていきます。そんな光景をずっと見て育ってきました。私たちは“おかずとり”と言って、田んぼに上ってきた魚や、すぐそばの琵琶湖で魚をその日に食べる分だけ捕まえて、食事にもしていました」。(石津さん)

 

琵琶湖やそこにつながる田んぼで、自分たちの暮らしに必要なものを育て、収穫し、生活を営んできた石津さんの幼少期。
「今で言う循環型や、持続可能な農業が日常的に行われていました。暮らしとともに、琵琶湖があるのは当たり前のことでしたから」と話します。

 

 

農業の近代化で魚が遡上できない……。

 

魚道を遡上するコイ。(写真:滋賀県提供)

農作業の近代化とともに、大型の機械を入れられるようにと圃場(ほじょう)整備が進むと、魚が田んぼに遡上できなくなり、石津さんが見てきた景色が消えてしまいました。

 

「田んぼは、水温が高くて、卵を産んで、稚魚を育てるには最適な環境です。小さな微生物やプランクトンも多く、生まれたばかりの稚魚はそれらを餌としています。温かいし、餌は豊富だし、1ヶ月もすれば大きくなります。田んぼがまるで魚の赤ちゃんのゆりかごのように優しいことを、魚は知っているんですよ。だから、田んぼに上れないと、安心して卵を埋める場所がなくなり、魚たちも困ってしまいます」。(石津さん)

 

そこで、石津さんは、平成8年ごろから「昔の環境を蘇らせたい」と、田んぼの横に魚道を作り、かつてのように魚が上れる仕組みを作り始めました。

 

「当時、滋賀県も“魚のゆりかご水田”といって、魚が田んぼに遡上できるよう取組を始めたころです。はじめは、階段上の魚道を作ってみたものの、針江地域は地下水が豊富で水量が多いため、地下水が溢れて、田んぼを流してしまったことも。そこで、私たちは水路をジグザクに進んでいく形の魚道を作りました。そうすると、フナやコイ、ナマズなど田んぼの生き物が戻ってきてくれるようになりました」。(石津さん)

 

 

有機栽培の米作りで生き物が田んぼに戻って来た!

 

田んぼに戻ってきたフナや稲で脱皮をしたヤゴなど、石津さんの田んぼにはたくさんの生き物が生息しています。

さらに、石津さんが取り組んでいた有機栽培での米作りも、魚だけでなく、そのほかの生き物が田んぼに戻る後押しになったのだとか。

 

「農業の近代化などによって、田んぼから消えた生き物がたくさんいます。私が有機栽培を始めたのは平成元年、滋賀県の有機活用推進パイロット事業に取り組んだことがきっかけでした。この事業に参加する集落は、農薬や害虫駆除の空中散布から除外され、農薬や化学肥料に頼らない米作りを行っていました。そうすることで、生き物は安全な場所を察知して、そこに集まってくるんです」。(石津さん)

 

生き物が集まってくる石津さんの田んぼには、これまで駆除されてきた害虫もたくさんいます。石津さんは、「害虫もいるし、害虫を捕食する生き物も集まってくる。そうすると田んぼの中で食物連鎖が進みます。これがバランスの良い田んぼなんですよ」と言います。

 

 

生き物にとってさらに良い環境をめざしたい

 

平成17年から石津さんが取り組んでいる「みずすまし水田プロジェクト」。田んぼの中に魚道を設け、多様な生き物の住処を作っています。

「まだタガメ、アカハライモリが戻ってきていません。この2種類が戻ってこられる環境になればいいなと思います。そして、もうひとつ。数年前から兵庫県豊岡市のコウノトリが針江にやってくるようになったのですが、昨年は1週間も滞在してくれました。
長くいてくれるということは、生き物にとって居心地が良い場所だということ。針江がそんな場所になったことも嬉しい限りです。もっと長く過ごしてくれるよう、環境を整えられたらと思っています」。(石津さん)

 

石津さんの、人も生き物も暮らしやすく、未来に繋がる農業のあり方は、琵琶湖システムの世界農業遺産認定に大きく寄与していることは言うまでもありません。
まだ田んぼに戻らない生き物が帰ってくる日まで、そしてコウノトリが集落に住み続けてくれる日がくることを願い、石津さんは、針江集落の生き物と共生する環境整備に熱い思いを持ち続けています。

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