2024年11月15日(金)公開
江戸時代、米どころである滋賀の農家にとっては、耕作や運搬を担う牛は欠かせない存在でした。家族同様に慈しみ、年を取って動けなくなると若い牛に交換してもらっていたそうです。一方、彦根藩には陣太鼓を作るための牛革を幕府に献上する役目があり、牛のと畜が公式に認められていました。このような特殊事情から、滋養の薬「反本丸(へんぽんがん)」や干し肉などの加工品が生まれたと伝えられています。
昭和26年(1951年)に設立された「近江肉牛協会」によると、江戸時代末期に彦根藩が年間1000~3000頭の牛を扱っていた記録も残っており、「彦根牛」の名称で販売する店舗もあったようです。
「馬や牛の売買を仲介していた、当家の初代が牛肉を扱うようになったのもまさにその頃。明和(めいわ、1764年~1772年)時代に産地問屋を始めました」。(中川さん)
その後、明治3年(1871年)に肉食が解禁されたことを受け、2代目は全国展開を開始。3代目も順調に販路を広げました。
近江牛をブランド化しようという動きが始まったのは、「近江肉牛協会」が誕生して以降。当時の国内には肉牛のブランドはなく、その道は困難を極めます。大きな理由のひとつが、その頃の日本人の年間牛肉消費量が現在の約20分の1だったこと。加えて、生産者側の肥育体制が整っていなかったという事情もありました。
「近江肉牛協会」は昭和26年(1951年)に東京での大イベントを開催。トラックに乗せて運んだ近江牛のセリや、400食もの肉を配布する催しをきっかけに、近江牛の名は飛躍的に認知されるようになりました。ブランド化に向けての本格的な活動が行われるようになったのは、「滋賀県内で最も長く飼育された黒毛和種」を近江牛の定義にすると正式に決まった平成17年(2005年)。その2年後には商標も登録されました。
「経営面を考えれば、牛を肥らせる方が生産者にとっては都合が良いのですが、それでは肉のキメが粗くなる。脂が甘くて、とろけるような肉質にするためには、血統と飼料はもちろん、適切な体重にする育て方が大切です」。(中川さん)
風通しを良くするために屋根を高く造った牛舎の背後には自社の水田を配置。夏場は水田の上を通って冷やされた風が吹き抜けます。また、そこで収穫された近江米の稲わらは飼料や寝床に活用されます。
「もうひとつ、先祖代々大切にしてきたのが“牛の飼育には水が最も重要である”という教えです。水を求めて選んだこの湖東平野には鈴鹿山脈からの伏流水が流れていて、地下80mからくみ上げる水は口あたりやわらか。飲めば全身に染み渡る気がします」。(中川さん)
牛と共に育った8代目
中川さんは「肉の日」に認定されている29日生まれの丑年。
「生まれからして今の仕事は天職だと思っています。幼稚園の頃から、帰宅後はまず牛舎に行くような子供だったそうです」。(中川さん)
元旦から大晦日まで一日も休むことなく牛の健康や成長状態に気を配る中川さん。先代からは自社牧場での繁殖も行うようになりました。
「子牛は病気に罹りやすいし、管理も難しいので、一般的には素牛(もとうし)と呼ばれる子牛を買い付けて肥育します。ウチも素牛を買い付けますが、同じ血統ばかりだと悪い面も出てくる。地産地育を進めたいという思いもあり、約半分は自社牧場で繁殖させています」。(中川さん)
「愛情を込めて育てたからこそ、美味しく食べてほしい」という思いが込められた近江牛。11月29日の「いいニクの日」、03月29日の「おうみにくの日」で一層盛り上がりを見せる近江牛を、この機会に味わってみてはいかがでしょうか。
中川さんが育てたお肉は以下のホームページから購入が可能です。
■住所 滋賀県東近江市野口町55-2
■連絡先 0748-22-0603
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