時代が変わっても色あせない信楽焼の風合い

2023年9月1日(金)公開

 

鎌倉時代中期に誕生したとされる信楽焼。この土地で採れる良質な粘土層を使って、瓶や壺などが作られはじめたと言われています。そこから時を経て、茶壷や茶器などの茶道具や火鉢、植木鉢などさまざまな製品が生み出され、今日に至ります。50年以上に渡り信楽焼に携わってきた、かね平製陶所の代表であり、信楽陶器工業協同組合の理事長の大原耕造(おおはら・こうぞう)さんに信楽焼の特徴をはじめ、産業として最も盛えていた時代のこと、昨今の新しい動きについてお話を伺いました。

 

 

昭和初期には火鉢の生産量が

全国シェア9割を占めた大産地

 

創業当時の面影を残す大きな窯の煙突

「かね平製陶所は、私の父が昭和22年(1947年)に創業しました。私たちは、火鉢や植木鉢など大物の陶器の製造を生業としてきました。今でこそ、信楽焼はたぬきや器のイメージがありますが、昭和初期の信楽は火鉢の生産量が全国シェアの9割を占めるほど、大型の焼物製造が盛んだったんです」。(大原さん)

 


その理由は、信楽では良質の土がたくさん採れ、その土が火に強い性質だったから。また、“火色(ひいろ)”と呼ばれる、焼成することで赤く発色する信楽焼の風合いも美しく、多くの人を魅了してきました。
かね平製陶所もそんな産地の特性を活かした火鉢、植木鉢づくりで一時代を築いてきたのだとか。

 

大原さんが作陶した植木鉢。火色(緋色)と呼ばれる赤茶色の焼き色。火が生み出す独特の風合いは現代においても個性的でスタイリッシュな佇まい。

「信楽では、陶器に必要な土を作る生素地(なまきじ)屋さんと、成型と焼成を担う窯屋(かまや)さんと分業制を敷いていました。私たちは窯屋の方。かね平製陶所でも20名ほどの従業員を抱え、毎日、たくさんの火鉢や植木鉢を作っていました。生素地を買って、大量に製造して、問屋に出荷。とにかく忙しい時代でしたね。信楽焼は街の産業として、大きな役目を担っていました」。(大原さん)

 

 

生活様式の変遷とともに進化する信楽焼

浴槽や洗面ボウル、食器が大人気

 

ところが、昭和20年代半ばに石油ストーブが登場すると、その様子は一変したのだとか。

 

「生活様式が変わり、火鉢を使うことがなくなってしまったんです。また、公団住宅やマンションなどの集合住宅が増え、家に大きな植木鉢を置く人も少なくなり、信楽焼の総生産金額はどんどん減少していきました。今は、最盛期の1/5程度にまで落ち込んでいます」。(大原さん)

 

鉢などの生産は減ってしまいましたが、数年前から建築材料としての信楽焼が人気を集めているのだとか。

 

「大型の焼物を製造してきたノウハウを武器にした建築材料の製造に取り組んでいます。水に強く耐久性がある陶器の特徴を活かし、お風呂場の浴槽や洗面ボウルなどでの需要があります。ステンレスやプラスチック製のものも使い勝手は良いのですが、焼物の温かみや肌ざわりは、やはり人の心を穏やかにする何かがあるのでしょう。産地として新しい活路が見出せているのは良いことだと思っています」。(大原さん)

 

大原耕造さん。現在は、信楽陶器工業協同組合での信楽焼のPR活動や産地を守る取組に力を入れています。常に新しい展開を考え行動に移す、信楽を牽引する存在です。

また、最近は信楽焼の器の注目度も高く、全国各地の陶器市やクラフトマーケット、雑貨店などに出展する職人も増えているそうです。

 

「時代のニーズによって、食器の人気が高まっています。使う分だけ少しずつ土を仕入れて器を作り、自ら販路を開拓する生産者さんも出てきました。かつては、問屋さんを通した商売が主流でしたが、いろんな方法で信楽焼が広まっていくのは良いことだと思います」と、大原さんも現在の盛り上がりに期待をしています。

 

現在は組合の仕事で忙しい大原さんですが、古くからのファンも多く、オーダーが入ると一つずつ手作りしています。「大型の陶器を製造していた工房なので、窯の大きさが4立米あります。コストの面もあり、2ヶ月に1度、ある程度の数量をまとめて窯に火を入れています」。(大原さん)

「最近は、プラスチック製品の廃止など消費者が環境問題に敏感になり、使い継いでいける陶器が再び注目を集めています。今、人気の食器だけでなく、花器などもしかり。手作りの良さが見直されているように思います。土の素朴さ、色のかかり具合などそれぞれに表情が違います。料理も良い器に盛ると、美味しそうに見えますし、花も良いものに入れるとカッコいい。これからは使う人の日常に入り、日常を潤してくれる存在として、信楽焼は存在価値を高めていくはずです」。(大原さん)

 

 

「産地のPRが私の使命」

ここ滋賀での作陶体験にも講師として参加

 

信楽でたぬきが有名になった理由は、昭和26年(1951年)昭和天皇が信楽を訪れた際、信楽駅前にたぬきを並べてお迎えした様子がテレビに取り上げられ、「かわいい焼物がある」と人気に火が付いたのだとか。

ここ滋賀でのたぬきの作陶体験では、大原さんは「産地のPRになることがしたい」と、毎年、講師を務めています。

 

ここ滋賀での作陶体験の様子

「土に触れる機会は、東京の方々にとって新鮮だったのではないでしょうか。土に触っていると、ほっとするものです。参加者のみなさんが自然と繋がるきっかけになれば嬉しいです。そして何より、信楽焼のことを知ってほしいという思いです。滋賀県以外でのこういった活動は、これまで信楽焼に携わってきた私の大切な仕事だと思っています」。(大原さん)

 

信楽には、かね平製陶所のような窯元をはじめ、街にはたくさんの工房が並びます。ここ滋賀での信楽焼の体験はもちろんのこと、ぜひ産地を訪ねて、土の素朴な温かみに溢れた陶器に触れてみてください。

 

信楽陶器工業協同組合
■住所 滋賀県甲賀市信楽町江田985
■電話 0748(82)0831
■ホームページはこちら

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