2023年8月10日(木)公開
井筒屋は、安政元年(1855年)頃に長浜の船着き場前で旅籠屋として創業しました。かねてから長浜は水陸交通の拠点として栄えていましたが、明治時代になって蒸気船が長浜~大津間に就航したことでより一層賑わうようになりました。
「当旅籠屋には要人の方々もよく来られていたそうです。そんな事情通をお迎えするなかで、初代の宮川利八(りはち)は東京と神戸を結ぶ東海道線の計画を知ります。これはビジネスチャンスだと思ったのでしょう。それを機に旅館を米原に移転させました」。(宮川さん)
利八氏は米原駅における弁当類専売権を獲得して、東海道線開通と同日の明治22年(1889年)7月1日に駅弁の販売を開始。「井筒屋」は今も「米原停車場構内立売営業人」の資格を持ち続けています。
ちなみに、日本に駅弁が誕生したのは明治18年(1885年)7月16日で、国土交通省はこの日を駅弁記念日に制定しています。その当時の駅弁は握り飯と沢庵を竹の皮に包んだだけの簡素なものでしたが、井筒屋が商売を始めた明治20年代には現代にも通じる折詰スタイルが登場していたと言われています。
大正、昭和を通じて、旅館と駅弁事業を運営。太平洋戦争時は軍関係に宿泊や軍用弁当の提供を行い、急場をしのいだことも。戦後は駅構内で立ち食いそば店も運営するまでに成長しました。
「企業としての試練はいくつもあったと思いますが、なかでも大きな転機になったのは昭和39年(1964年)の東海道新幹線開通と昭和62年(1987年)の国鉄民営化。その頃は私の母である仁子(きみこ)が4代目社長を務めていました。特に民営化の際は組織や規約に大きな改変があったため、大変だったであろうと思います」。(宮川さん)
民営化の際は「新幹線グルメを作る」と銘打ち、新大阪~東京駅間で営業を行う駅弁業者19社が協力して新作駅弁を考案する企画を実施。その時に誕生したのが、今も「井筒屋」の名物駅弁である「湖北のおはなし」です。
「唐草模様の風呂敷に包んだ“湖北のおはなし”の主役は、この地方の名産である鴨のロースト。脇役として、永源寺の修行僧の食事に欠かせないコンニャクの甘辛煮、ワカサギの飴煮、毎年の十五夜にお供えする小芋の丸煮などを詰めています。季節のおこわに添えるのは、竹さおにかけて干す風景がしがの里(伊吹山)の風物詩でもある赤かぶらの漬物。長くて厳しい湖北の冬に、街から帰ってきた家族のためにおばあちゃんがそっと持たせてくれた、そんなお弁当でありたいと、毎朝早くから手作りしています」。(宮川さん)
素材の味を生かす滋賀らしい薄味を心がけつつ、冷めても美味しい駅弁であることも大切にしています。
「時々、本社併設の売店で購入いただいたお弁当をレンジで温めてほしいと言われることがあるのですが、駅弁は冷めた状態で食べるもの。その点をご理解いただくようお話して、駅弁の醍醐味であり、私たちが大切にしている“冷めてもおいしい”味を楽しんでいただくようにお願いしています」。(宮川さん)
亜古さんが6代目社長に就任したのは平成19年(2007年)。令和元年(2019年)には創業130周年を迎え、その翌年には本社内にそばやうどん、元ホテルシェフが作る本格ビーフカレーなどが味わえるイートインスペース「キッチン井筒屋」を開設しました。
「そうこうするうちにコロナ禍に見舞われ、休業を余儀なくされた期間もありました。従業員の数も大きく減らしましたが、変えてはならないもの、変えても良いもの、変えなくてはならないものを見極めて、身の丈に合う商いをすることの大切さを改めて実感する機会にもなったと今は思っています。これからも奇を衒(てら)うことなく、でも時代に乗り遅れないよう、“ええもん”を作り続けます」。(宮川さん)
目の届く範囲で商いがしたいとの思いから、駅弁は米原駅構内にある売店と本社のみで販売。コロナ禍の影響で減少した利用者の回復につながればと復活させた駅構内における立ち売りは、秋ごろにも数日程度実施するようです。
お弁当の井筒屋
■住所 滋賀県米原市下多良2丁目1番
■連絡先 0749-52-0006(受付は8:30~15:00)
■ホームページはこちら
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